2007年
03月
21日
(水)
21:30 |
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![]() | 黄泉の犬 藤原 新也 (2006/10) 文藝春秋 この商品の詳細を見る |
藤原新也さんの本を読んでいていつも思うのは、この人の考え方そのものに賛成
か反対かとか、そんなことはどうでもよくて、とにかくその「生」に対する真っ
直ぐな姿勢に尊敬の念を抱く。藤原さんの人格の規範を形成した青年時代のイン
ドへの旅の話から、オウム真理教事件の根を掘り下げていくこの本は、その真偽
はともかく、この人にしかかけないオリジナルな想念を感じる。
かくいう自分も、最近自分が何者なのか、自分のルーツは何なのかをしきりに考
えるようになった。「日本人である」、この事実は変わらないが、ブルーノ・タ
ウトの賛美したあの時代の「にっぽんじん」と自分とには、明らかな溝がある。
日本の文化の根幹たる京都は僕にとっては外国も同然、かといって生まれ故郷の
回りには住宅とスーパーと、公園に毛の生えたような自然公園だけ。日本、と呼
ぶにはあまりに特徴がなさすぎる。
人は、というか生物、全ての物質は、周囲の環境の変化に常にさらされながら、
時にその流れに流され、時に抗って自らを変化させる。表面上変化していないも
のでも、この物質世界で一定普遍のものなどない。人は常に「自分」という一人
の存在は変わらないと思って暮らしているが、実際のところこうしている間にも
体全身の細胞は生き死にを繰り返し、常に「新しい自分」がそこにある。心だっ
て、常に揺れ動き、変化している。今日信じたものを明日疑うことはしょっちゅ
うだし、「変わらない思い」なんて嘘だと僕は思う。少し話がそれたが、つまり
今までどんな環境(人、土地、住まい、学校、知識全てを含んで)にさらされて
きたのか、それがその人の生きている規範、人格を形作っているのだ。
そうやって考えてみると、以外と自分という人間を「知らない」のがわかる。自
分は一体何者で、これからどこへ行きたいのか。しばし立ち止まって考えてみよ
うと思う今日このごろ。
えるようになった。「日本人である」、この事実は変わらないが、ブルーノ・タ
ウトの賛美したあの時代の「にっぽんじん」と自分とには、明らかな溝がある。
日本の文化の根幹たる京都は僕にとっては外国も同然、かといって生まれ故郷の
回りには住宅とスーパーと、公園に毛の生えたような自然公園だけ。日本、と呼
ぶにはあまりに特徴がなさすぎる。
人は、というか生物、全ての物質は、周囲の環境の変化に常にさらされながら、
時にその流れに流され、時に抗って自らを変化させる。表面上変化していないも
のでも、この物質世界で一定普遍のものなどない。人は常に「自分」という一人
の存在は変わらないと思って暮らしているが、実際のところこうしている間にも
体全身の細胞は生き死にを繰り返し、常に「新しい自分」がそこにある。心だっ
て、常に揺れ動き、変化している。今日信じたものを明日疑うことはしょっちゅ
うだし、「変わらない思い」なんて嘘だと僕は思う。少し話がそれたが、つまり
今までどんな環境(人、土地、住まい、学校、知識全てを含んで)にさらされて
きたのか、それがその人の生きている規範、人格を形作っているのだ。
そうやって考えてみると、以外と自分という人間を「知らない」のがわかる。自
分は一体何者で、これからどこへ行きたいのか。しばし立ち止まって考えてみよ
うと思う今日このごろ。
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2007/10/08(月) 10:52:33 | まことの部屋






