majime - note
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どうしちゃったんだ僕は
2010年 05月 22日 (土) 19:03 | 編集
『動物化するポストモダン』の話の続き。
この本の肝になっているところとして、オタクと呼ばれる人たちの消費原理を「データベース消費」として解説する箇所がある。創り手側が、無意識に、あるいは意識的に「萌え」る要素を分解して、データベースのように蓄積して、それらの分解された要素を組み合わせてすぐに新しい作品が作られ、消費するサイクル。しかもその単純構造自体を、オタク自身もまた意識している。さらに、「萌え」の要素のデータベースを駆使して、今度は消費者自身が、二次創作、三次創作を繰り返すような同人誌というシステムで、「創り手」という概念すら曖昧になっている世界。物語も、細かい設定として徹底的に要素化されて、これもまたデータベース化されて、組み合わされて、無数のパターンとして生産され続ける。こういう創作世界で生み出されるものを「シュミラークル」と呼ぶんだそうです。そしてこのある種冷めた、もはや食欲に近い単純な消費行動を「動物化」している、と定義する。んーやっぱり実際読んだ方がもっと解りやすいなぁ。

この話でピンとくるのは、例えば音楽の世界で言えばDJ的だし、デザインの世界で言えば広告的なものだったりする。無数にある作品のデータベースの中から曲を選びとって、繋ぎ合わせ、アレンジすることを「オリジナル」と呼べる感覚はたぶんポストモダン的なんだと思うし、最近の広告の作られかたが、ほとんど定型化された型の選択というカタチで制作されている感じ、常に「○○っぽさ」をまといながら、中に入れるものを変えていくことで、消費者にとっての「新しさ」を創り出そうとしている感じも立派にポストモダン的。

で、やっぱりそれを僕は感情として受け入れ難いわけで。そうやって認識した世界にはもはや「激しく打ちのめされるほどの感動」を期待できないような気がするし、そういう世の中のために僕は今ここにいるんだろうかって気持ちになっていく。

でも、何をやっても、「今までで誰かがやっていた感」を感じ続けながら、それでも創作し続けなきゃいけない、というのは、現代では逃れようがないのも確かで、その中で生き延びる術として、ここまで書いてきたようなやりかた、消費の構造ができていくのはやっぱり必然的だったのかもしれないし。

ではでは、ポストモダンのポストってあるんだろうか。
そもそも現代的って言葉の中身自体が常に更新されているんだから、
この言葉の使い方から考え直したほうがいいんだろうね。


今日は暇なのでちょっと長いな。
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この記事へのコメント
Re: タイトルなし
あ、そっかそっか。そういやそうだったね。
今更ながら話を聞きたい気がするよ。
とりあえず今度またメシ。
2010/ 05/ 28 (金) 02: 04: 49 | URL | Hajime # -[ 編集 ]
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2010/ 05/ 27 (木) 00: 46: 57 | | # [ 編集 ]
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