2009年
03月
18日
(水)
02:14 |
編集
やっぱり建築家が語るのを読むのは単純に楽しい。
小説を読むような感覚。
※画像クリックでアマゾン
現役建築家の藤村龍至氏の、膨大な量の対話の一部。
僕は5割も理解できていないのかもしれないけれど、
いわゆる「郊外化」を問題意識として、
サリン事件や神戸大震災などの重大ニュースが多かった
1995年を起点に、近い世代の建築家たちと
インタビューというカタチで対話している。
どの建築家も、それぞれ独自の批評性を持って
日々の「設計」という行為に臨んでいるのがわかる。
それぞれが、社会に対するなんらかの問題意識、
それは「美」「経済」「方法論」「組織論」などさまざまだが、
そこから出発して独自の地平を開いている印象がある。
(僕は実際に個々の建築家の建造物を見ていないので)
かえって、デザイナー、こと視覚伝達の世界の中で、
こういう動きがなかなかおこらないのはなんなんだろう。
50、60年代の、『グラフィックデザイン』の活発な時代を経て、
ヴィジュアルコミュニケーションという言葉が生まれて以降、
包含する概念ができはしても、そこでの議論は逆に
熱を失ってしまった印象が、僕らの世代にはある。
大学内での研究レベルと、実際に広告や本・雑誌などの
印刷物をデザインしている現場レベルとの著しい乖離。
「対クライアント」がある以上、デザインという
側面だけでの批評が成り立たないのではなく、
(それは建築ではむしろいっそう強いはずで)
お互いがお互いを表面上褒め合うような、生温さがある。
何かモノ・コトをカタチにする以上、
そこには何かしらの「批評性」が、
良くも悪くも織り込まれるわけで、
それを意識しつつ、さらにそれを相対化したい欲求が、
建築家の話を読んでいるとむくむくとわいてくる。
そういう場って創れないものかな。もうあるのか実は。
実際自分はそういうことに疎いのでこんなに偉そうなことを
書ける人間でもないのだけれど、
どうにかしてみたい、自分になにかできないかというは、
いつも考えている。
小説を読むような感覚。
![]() | 『1995年以降─次世代建築家の語る現代の都市と建築』 (2009/02/21) 藤村 龍至TEAM ROUNDABOUT |
現役建築家の藤村龍至氏の、膨大な量の対話の一部。
僕は5割も理解できていないのかもしれないけれど、
いわゆる「郊外化」を問題意識として、
サリン事件や神戸大震災などの重大ニュースが多かった
1995年を起点に、近い世代の建築家たちと
インタビューというカタチで対話している。
どの建築家も、それぞれ独自の批評性を持って
日々の「設計」という行為に臨んでいるのがわかる。
それぞれが、社会に対するなんらかの問題意識、
それは「美」「経済」「方法論」「組織論」などさまざまだが、
そこから出発して独自の地平を開いている印象がある。
(僕は実際に個々の建築家の建造物を見ていないので)
かえって、デザイナー、こと視覚伝達の世界の中で、
こういう動きがなかなかおこらないのはなんなんだろう。
50、60年代の、『グラフィックデザイン』の活発な時代を経て、
ヴィジュアルコミュニケーションという言葉が生まれて以降、
包含する概念ができはしても、そこでの議論は逆に
熱を失ってしまった印象が、僕らの世代にはある。
大学内での研究レベルと、実際に広告や本・雑誌などの
印刷物をデザインしている現場レベルとの著しい乖離。
「対クライアント」がある以上、デザインという
側面だけでの批評が成り立たないのではなく、
(それは建築ではむしろいっそう強いはずで)
お互いがお互いを表面上褒め合うような、生温さがある。
何かモノ・コトをカタチにする以上、
そこには何かしらの「批評性」が、
良くも悪くも織り込まれるわけで、
それを意識しつつ、さらにそれを相対化したい欲求が、
建築家の話を読んでいるとむくむくとわいてくる。
そういう場って創れないものかな。もうあるのか実は。
実際自分はそういうことに疎いのでこんなに偉そうなことを
書ける人間でもないのだけれど、
どうにかしてみたい、自分になにかできないかというは、
いつも考えている。
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