majime - note
青松 基のブログです。デザイン/アート/日常のことなどとりとめなく。
サスキア・オルドウォーバース展
2008年 06月 02日 (月) 00:40 | 編集
埋め立て地区の倉庫の中のギャラリーってとこでは
清澄白河のヒロミヨシイギャラリーに似ている立地だが、
オオタファインアーツも少しこじんまりとしていて
作品本意の丁寧な展示をするところっていう印象を受けた。
初めてだったので建物を特定してから中に入るまでかなり手間取った。
最初貨物用のエスカレーターに乗ってしまい、
降りてみたフロアは真っ暗、非常階段からはどこにも入れず、
やむなく一階に戻ってよく見てみたら隣に人間用のエレベーターを発見!で、
やっと中に入る。
フレッチャー展/森山展/ティルマンス展
2008年 05月 30日 (金) 23:31 | 編集
仕事に行く前に銀座グラフィックギャラリーで
アラン・フレッチャー展にいってきた。
アメリカのイェール大学でポール・ランドに師事し、
ソウル・バス(じゃなかったかな?)のもとで仕事をした
フレッチャー氏の、表現を切り詰めた先の
シンプルで力強いポスターの美しさに心うたれた。
要素をシンプルにすればするほど、
画面の緊張感を保つのは難しくなっていく。
はさみで無造作に切り抜いたような単純な色面と
手書きの文字だけであのポスターを作るのは、
その手法のシンプルさの裏に苛烈な努力を感じる。
豊かな、白い紙でありたいってことか!
2008年 04月 19日 (土) 18:28 | 編集
動物という文化 日高敏隆選集IV (日高敏隆選集 4)動物という文化 日高敏隆選集IV (日高敏隆選集 4)
(2008/03/20)
日高 敏隆

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僕は義務教育の中途半端な知識しかないから、
生物の進化って、大局的に見ればやっぱり
「最適」な方向に進んでるはず、と思っていて、
だから進化を遡れば遡るほど、「劣った」種である、
というようなイメージをなんとなく思っていたけど、
この本を読んでがらりとイメージが変わった。

半年くらい前にレヴィ・ストロースの本を読んで、
民族固有の文化間に優劣の関係はなく、
どちらがよりハッピーな生活を送っているのかは、
必ずしも現在「豊か」とされているような
先進国の文化ではなかったりする、
用はヒエラルキーをつけて見ないで、その固有性、
多様性にこそ価値がある、というような
考え方と同じようなことを、
生物種に当てはめている本だった。

単細胞生物を例に挙げれば、
種としてはかなり原始的な生物だけど、
今でも人間の全個体数とは比較にならないくらいの
数が地球上にひしめいていて、その種類数も半端じゃない。
人間の住めないような場所に生息もするし、
構造が原始的な分、人間よりも種として柔軟で、
「じゃあ人間と単細胞生物、どちらが優れてるの?」
なんて問い自体が無意味に思えてくる。

ここから少し抽象的な話になるけど、
常に最適な答え、理想的なものを目指して世界は動いていなくて、
大事なのは完璧な理想を打ち立てることじゃなく、
動的な世界観の中でいかに自分を変化させていくかってことで、
変わらない、普遍の自分なんてありえないし、
あってもつまらないのだと思う。たぶんここらへんが、
最近の自分の中での価値観の一番大きな変化なんだろう。

だからといって、常に単なる白紙の状態でいればいいわけじゃなく、
白い紙は紙で、奥深い、豊かな白い紙であれ、ということで、
明日、ペーパーショーにいってきます。

生活を活かすための茶道
2008年 04月 04日 (金) 02:20 | 編集
僕は「茶道」というものをやったことが一度もない。
だから、茶道とは、なんてことを語る資格は何もない。
それでも、柳宋悦の本を読んでいると、
心に響いてくる箇所が多くて驚いてしまう。

本からだけの知識でものを語るのはどうかと思うが、
今『茶と美』を読みながら感じることは、
茶道もまた生活を編集する一つの方法だということ。
茶道自体は、その様式の成立以前に、
まず「見る」ことから始まった、と宋悦は書いている。
例えば目の前にある茶碗なら茶碗を、
何の色眼鏡を通して見ることなく「見る」ことを通して、
茶碗それ自体の質を見極め、それを踏まえた上で
用いることで、日々の生活をより豊かに生きる、
それがだんだんと手法として確立されていったのが
いわゆる茶道であるという話。

土俵に上がるためには
2008年 04月 03日 (木) 02:34 | 編集
帰りの電車の中で
線をひっぱった箇所を引用してみる。


 珍しいということにはひとつの価値があるともいえる。珍しい物は保護されるべき性質が加わってくる。少ないが故に貴ばれることには必然さがある。多いものは容易に得られるからである。…(中略)…
 だが私達は盲目的にこの性質を受けてはならない。…(中略)…もし珍種に執着するなら、変種の蒐集という横道にそれるであろう。このことにあまりこだわるのは蒐集の質を却って落とすであろう。…(中略)…珍しくて良い物は、それこそ珍しいといわねばならない。珍しくて悪い物はこの世に案外珍しくないともいえよう。…(中略)…珍しくとも多くとも、良い物は良いとし、悪い物は悪いとして、選択を施すのが正当である。

柳 宋悦『茶と美』「蒐集について」より


この人の文章は、
一言、一言がシンプルで厳しさに満ちている。
ある種チヒョルトに似て独断的な態度を見せつつも、
他を寄せ付けない威厳に満ちた佇まいで
読者を納得させてしまう。

この種の厳しさに憧れつつも、
多様性に満ちた世界を受け入れきれない
限界を設定してしまうその立場に、
共感しきれないジレンマを感じる。

ではどっちつかずでふらふらしていていいのかというと
そうではない。
何らかの自分の立場を表明しない限り、
少なくとも土俵には上がれない。
土俵にあがりつつ、相手の力士の人格や
観客まで受け入れてしまえるような、
大きな器がほしい。
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