majime - note
青松 基のブログ。デザイン・アート・日常のことなどとりとめなく書き綴っています。
スポンサーサイト
--年 --月 --日 (--) --:-- | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
絵を描き始めて2日目。
2009年 09月 29日 (火) 23:04 | 編集
視覚的に目の前に現れるものを取捨選択し、
次にすべきことを自分の手との対話で一瞬で判断し、
行動に写す。その繰り返し。

最初に思い描いていたものとは当然変わるし、
描きながら思い描いているイメージも時々刻々変化するのを
楽しむのが、絵を描くことの楽しみになっている。
これはいわゆる「鑑賞」する絵ではないと思う。
自分の内側を通って外に開いている絵な気がする。
それは、今の自分にとって限りなく面白い。
どこに着地するかが問題ではなくて、体験としての絵画。
絵画と呼べるのか?これを人にプレゼンテーションする場合、
どう言えばいいのか。今っぽく、インスタレーション、
ってことになるのか。行為すらも閉じているのだから、
これはもう僕が語らなければ誰にも開かれない絵なのだ。

んー世のアーティストと呼ばれる人たちは、
一体どんなふうに一枚の絵を作り上げるのだろう。
本当に不思議だ。

途中で浮気心が出て、
もう2枚、段ボールを使ってキャンバスを作る。
1枚描いてみるが、全くしっくりこなくて、
今、真っ黒に塗りつぶしてある。

絵のコンセプトは、後から事後的に発生するものである気がする。
少なくとも、この絵は。
最初からコンセプトのある絵なんて存在するはずがない。
少なくとも、こんな描き方をしていたら。
解釈とは後にしかできないわけだ。
コンセプトとは最初に決められてあるべき「解釈」だが、
そんなものは存在していない。
つねに頭の中を揺蕩うスライムみたいに、
不定形で不安定だ。
解釈を沢山もつ絵は、それだけ解釈から自由で、豊かだ。
多様性を持っていることこそ、作品自体の豊かさだ。
そんな気がする。



と、慣れないことをしながら色々考えつつ、
今日も3本映画を見る

『ハードエイト』見つけて超感激した。
ポール・トーマス・アンダーソンの長編デビュー作。
マグノリアからのファンだけど、この映画も素晴らしい。
カジノで過ごす紳士的でどこか寂しそうなおじさん、
と、軽くてピカピカしたカジノの電飾や空気の混じり合う
乾いていて冷たい、空騒ぎの街の空気にあてられてしまう。
映画の質を決めるのは実はああいう「空気」がどれだけ
濃密に出ているか、である気がする。
良い台詞も、迫力のアクションも、美しい風景も、
どれか一つではなく全てが混じり合ったときにできる空気。
この監督はその「空気」を作れる素晴らしい監督。

『ウォンテッド』をもう一回見る。中古出たらたぶん買う。
景気付けに。これもアクションだけど独特の空気を持った映画。
ジェームズ・マカヴォイの情けなくて危うい感じ、グッド。

『アダプテーション』ニコラス・ケイジって、
すごい俳優ですね、と素直に思った映画。
自分を罵倒するチャーリー・カウフマンの姿が、グッド。
何度も笑う。もう脚本としてとかラストはあれでいいのかとか、
そんなのどうでもよくて、過程を楽しむ映画ですねこれは。
このあいだ紀伊半島に行ったときに読んでた
古川日出男の『ボディ・アンド・ソウル』を思い出した。

さて、今日は何を借りてこよう。
≫ "絵を描き始めて2日目。" の続きを読む...
スポンサーサイト
代休が3日もあって、おもいついたことをやってみる
2009年 09月 28日 (月) 22:45 | 編集
なんだかだらだらと長い休みを成り行き上とってしまって、
旅行に行く計画もとくに立ててなかったので、
自宅で何かやってみようと思って今、絵を描いてみている。

とくに何の課題でもなく、自分に向かった絵を描くのは
本当に久しぶりだ。高校の授業以来とか?
美大に通ってたのにね。デザイン科だったし、
大学に入ると逆に、そういう自由な創作の時間を
自分で作らなくなってしまうのが現実だった。

で、何の絵を描こうかと思って、
まぁ色々小難しいことをぐるぐる考えたあげく、
ここはシンプルに「顔」ということにしよう、と。

特に意味も何にもないんだけど、
「いや、この絵のコンセプトはですね・・・」
と延々説明できるような絵じゃなく、
描きながらその都度、生成されるものを見て次の筆を次ぐ、ような、
そういう「成り行き」な気持ちで進んでいけそうなのが
なんとなく「顔」だったということで。
特にだれの顔というわけでもないんだけど、
なんとなく自分の顔に今は近くなっているような。

今とりあえず乾かしているんだけど、
なんかサクサク描けなくてもどかしい。
アクリルガッシュだからまぁ乾燥しやすいはずだけど。


何かを細密に写すわけではない、と自分では思っているので、
その場合、眼前に現れる某かに常にビビッドに反応して
いかないといけない。完成形が見えていたら僕にとっては
描く必要がない。見たことないものが見たくて描いてるわけですもの。
だからレールを決めずにとにかく列車を野に放つ。
いや実際レールないと列車は走らないので、
なんとなく野にできていた溝をとりあえずのレールとして
走ってみましょうか。途切れたらそこで考えますか。
というような・・・?

そんなわけで、時間はあるので映画をいろいろ見たり。
『ウォンテッド』ってこんな映画なのか。
極度の集中で体内の鼓動が何百倍にもなる感覚って、
普段の身体感覚の延長線上で、オリンピックの
100m走のスタートの瞬間とか、
(まさに似たようなシーンもあるし)
あの「アドレナリングシャグシャ」状態は
見ていて気持ちがいいしすっと入っていける設定。
スカッとドビャッと気持ちすっ飛ばす映画です。

『マッチポイント』は気になりつつ今まで見なかったのは
きっと浮気がテーマで、なんとなく身に覚えはないのに
見ていて後ろめたさに気持ちが引き裂かれるのが
わかっていて敬遠していたのか。
ドストエフスキーの罪と罰が底流にありつつの
世の人生のマッチポイント、
あのどっちにも転びそうな一瞬の恍惚。
ぼくは好きな映画です。

てか嫌いな映画って基本ないんだな。
川村記念美術館:絵画の森。
2009年 01月 19日 (月) 02:23 | 編集
千葉の川村記念美術館へ。
リニューアルして最初のコレクション展。
始めて行った美術館だったのだけど、
リヒター展になぜいかなかったのか。。。今でも悔やむ)
敷地がもの凄く広いのにまずびっくり。
東京の美術館にはないのびのびした感じがいいなと思った。
建物内のエントランスの天井もなんだかすごい。
フワーっと開いた花みたいな、なんだあれは。
茶室はちょっともったいないというか、
風景が御馳走なのはわかるけど、
なんだか普通の部屋にテーブルと椅子でいただく抹茶って、
どうも。。。ならカフェにしてもよかったくらいで。
もっとやるならやりきってもいいんじゃないかと思った。

この美術館、海外内問わず、結構著名な作家の作品が
コレクションされている。
モネ、ピカソ、シャガール、マレーヴィチ、レンブラント、リ・ウーファン、、、
日本なら雪舟、光琳、杉本博司などなど。
今回はフランク・ステラの作品がまとまって展示されていた。
個人的に好きだったのはモーリス・ルイス
チラシではあの色の積層された美しさがわからないんだけど、
実物を見たら、独特の風味がたまらないかんじ。

展示を見終わってもう閉館時間。
園内は全く散策できずに帰った。
次は朝からきてのんびりしたい。


川村記念美術館
http://kawamura-museum.dic.co.jp/

吉本隆明さんの講演→デザインへの道筋を考えると
2009年 01月 07日 (水) 01:04 | 編集
言語の指示表出と自己表出の話を、
デザインに関連づけて話していくとすると、
どんな方向性が見えてくるのか。

比喩として、例えば「言語」をそのまま「デザイン」という
言葉に置き換えて考えることもできるが、
話はそう簡単ではない気もする。

例えば、実際のデザインの仕事の流れを見ながら、
それぞれをつぶさに見ていくとすると、
デザインというものの「良し悪し」の観点が、
ものすごく曖昧であるという結論にたどり着くように思う。

人が「美しい・・・」と感じること自体、
これはその人の自己表出と言える。
(・・・をつけたのは独り言っぽいところを強調したかったので)
それ自体は自己表出ではあるけれど、
それを他者に知らしめるという段階になって、
指示表出の、いわゆるコミュニケーションの作法という
フィルターをかけてたのちに、
その人の発する言葉は決まる。

その人が本当は「美しい」と感じていたとしても、
社会的慣習、文化、倫理、知識、対人関係など、
あらゆる関門を抜けた後に、
その人が発する言葉は「醜い」に変わる可能性、
これは非常に高い。むしろ、
そのフィルターを通すだけで、
美の評価ができると思っている人すらかなり多い。
というのは僕の勝手な見解だけど。

吉本隆明さんが「美」術ではなく「芸術」と言ったのは
彼自身が文学畑の人であったのも一つあるが、
もうひとつ、「美」という概念そのものには、
ものすごく複雑でグレーな部分が多すぎて、
議論の難しいところであるという意味もあるのではないか。
という気がしている。

そして、この「美」と「コミュニケーション」の
板挟みにあいながら、
しかもものずごく裾野が広いために、
色んな考え方がありすぎて地図を描けないのが
「デザイン」の世界であるように思う。

「見やすい」ということが一つの絶対的価値である仕事もあれば、
「美しい」ということ、ただそれだけを求められる仕事もあり、
その中間には無数のグラデーションがある。
観点によって一つの作品が駄作にも傑作にもなる。
権威の言葉を聞いても人それぞれ。
職場によっても、クライアントによっても、
常に求められるものは違ってくる。
それを承知した上で、尚、自分がまず「いい」と思える仕事とは何なのか。
その答えはまだない。

だからと言って目の前の仕事だけしていればいいわけでもない。
とにかく、考え続けなければいけない。
焦らず、急いで、ゆっくりと。
サスキア・オルドウォーバース展
2008年 06月 02日 (月) 00:40 | 編集
埋め立て地区の倉庫の中のギャラリーってとこでは
清澄白河のヒロミヨシイギャラリーに似ている立地だが、
オオタファインアーツも少しこじんまりとしていて
作品本意の丁寧な展示をするところっていう印象を受けた。
初めてだったので建物を特定してから中に入るまでかなり手間取った。
最初貨物用のエスカレーターに乗ってしまい、
降りてみたフロアは真っ暗、非常階段からはどこにも入れず、
やむなく一階に戻ってよく見てみたら隣に人間用のエレベーターを発見!で、
やっと中に入る。
copyright (C) majime - note all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。